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【偏差値38、非モテ、人間不信、借金‥】根暗底辺リーマンが起業して人生を変えた物語

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こんににちは、しょうです。

僕は学生時代偏差値38でFラン大卒。

当然、良い会社に入ることができず、

30歳まで平凡以下で上司・部下からバカにされ、

給料が15万円を超えたことが1度もない

救いようがない、ど底辺バカサラリーマンでした。

しかし、

一念発起で起業という決断をし、

会社員の労働時間の半分以下にし、収入は4倍以上。

今では時間や他人に縛られず、自分の好きなペースで悠々自適に暮らしています。

また会社員時代に比べ、時間にも余裕ができたため、

本格的にコンテンツビジネスを始め、

やることしっかりやって2週間ほどで1万円稼げたことをキッカケに

現在は、コンテンツビジネスに本気で夢中になりながら仕事をしています。

ぶっちゃけた話、

会社員の頃の労働時間・給料と比べると、

もう十分すぎるほどお金を稼げてるので、

別にコンテンツビジネスやる必要なんてないと思ってます。

それに僕は、

ブログ、物販といった副業ビジネスに取り組んでいた過去があり、

年間プラス100万円以上はいつでも収入を増やせることができます。

正直、1人で生きていく上では十分すぎるんです。

でも今、こうやってコンテンツビジネスをしてる。

これはなぜかというと、

だからです。

僕は過去、偏差値38でテストも数学8点とか、

赤点だらけで先生にも見捨てられる存在でした。

そこから一切、勉強してこなかったんですが、

起業をキッカケに勉強をスタートし、

コンテンツビジネスに出会ってさらに熱量が加速。。

これは、

会社員のような肉体労働は就業30分会社に勤務しただけで、

「なんか疲れた、早く帰りたい…」

と思うほど、通勤で体力消耗してたのですが

コンテンツビジネスは、違います。

知識が入ってる脳みそ1つで、商売が完結し、

自分の口座にお金が振り込まれるんですよ。

勉強すればするほど、お金がチャリンチャリン入ってくる。

誰でもやれば、コンテンツビジネスはできるし、

肉体労働→頭脳労働

にシフトチェンジすることができるわけです。

なので、

僕はここからさらにお金を稼ぐスピードは、

急速的に上がってくわけですが、

じゃあ過去の僕はどうだったのか?

という話ですよね。

もちろん、

タイトルやここまでのお話で分かる通り、

最初からエリート街道を走ってきたわけではなく、

お金と時間を持て余す人間とは程遠い存在でした。

クソ貧乏です。

30歳まで月15万円を超えたことがないし、ど底辺バカサラリーマンで

常に生活に追われ、本当に本当にお金に苦しみました。

学校でイジメで不登校気味に陥りました。

20歳ギリギリまで童貞でした。

消費者金融にも160万借金しました。

クレカのキャッシュ枠も満額、使いました。

30歳にして、口座残高0円になりました。

もう生きるのが苦しすぎて、誰もいない暗い部屋で大泣きました。

ただ大泣きしてるときに僕は、

1度きりの人生このままで終わらせるわけにいかない。

絶対に変わって自分の力でいい人生を歩むんだ

と小さな小さな根拠のない希望を持ち始め、

会社を辞めて起業することになります。

ここまでザックリではありますが、

リアルで誰にも言えていない恥ずかしい過去を暴露しました。

でも、これは序の口です。

僕は栄光より苦悩にぶち当たった回数が圧倒的に多いです。

正直、僕より挫折した人間を見たことがないほどです。

でもこうやって僕が隠したい過去を赤裸々に書いてるのは、

こんな人間でも諦めなければ、

這い上がることができるのか

ということをあなたに知ってほしいし、

希望を持って、行動を進められる一歩を突き進んでほしい

という願いもあって今回、物語として書いてます。

是非、最後までご覧ください。

そして、

感想いただけると嬉しいです。

↓コチラからお待ちしてます。

https://lin.ee/5f8fnIU

では本編です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【1章】小学生の僕はチート級のヒーロー

僕が人生でヒーローのように輝いてた全盛期は、

小学生の頃まで遡ります。

何をしてもうまくいってたし、

友達からは慕われ、女の子からはモテまくってた。

体育のサッカーでは毎回、キャプテン。

先生からはいつも褒められ、みんなの前で沢山褒められ、

バレンタインデーは毎年、10個以上貰っていた。

満場一致で誰もが羨むヒーローだった。

今でも唯一小学生時代を知る友人はこう言う。

「小学校のときのお前には、太刀打ちできないくらいチート級の存在だったよな。。」

そんな輝かしい僕であったが、

この言葉が意味するように、

中学校以降は地獄の連続であった。

【第2章】転落人生の序章

思春期を迎えた中学生からは、

コミュ障になり、

不登校に陥った。

理由は、

今まで地味だった友達が一気に垢抜けてオーラを放ち、

自分という存在をどんどん追い抜いてったからだ。

今まで僕のことを持ち上げていた友達は、

一気に態度を変え、同等もしくは下に見てきた。

小学生の頃は、ゴマをするように僕についてきた奴でさえもだ。

こんなこともあった。

体育の授業でソフトボールの授業があったのですが、

最後2チームに分かれて、試合をすることになった。

んで、

試合の前にチーム決めをするのだがその方法が、

”取りジャンケン”

であった。

取りジャンケンとは、

代表者2人がジャンケンをし、

勝った順に自分のチームに欲しい子を指名していく残酷な方法です。

その方法で順番に決めていき、

どんどん陽キャの奴らから選ばれていくんですが、

僕は最後の最後の1人になり、

挙句にどちらも取りたくない空気見せ、

渋々ジャンケンで負けた方が僕のことを取るというなんとも悲惨でした。

しかも、

僕が目の前にいるにも関わらず、最後ジャンケンしてましたからね。

さすがに、

その方法で決めろと言った体育の先生、

クラスメイトを◯してやりたい

と殺意さえ芽生えたほど。

さらに、こんなこともあった。

頭が悪く、このままだと高校どこも行けない状況に追い込まれてた僕は、

それを見兼ねた担任の先生が座席を1番前にしたのですが、

どんなに授業中、真剣に聞こうと思っても頭に内容入らないし、

先生が言ったことをノートに一言一句書いても、全然理解できない。

そして、

期末テストでは数学6点と他の強化も赤点だらけで、

先生からは、

「どうしてお前は授業中、真面目にしてて座席も前になってるのに成績が上がらないんだ?」

とクラスメイトがいるのに大声で言われ、クソ笑われました。

僕から言わしたら、

と、はたまた先生や笑ってたクラスメイトをタコ殴りしてやりたかったのですが、

そんなことしたら僕は家に生きて帰れないと心の中で悟り、

怒りを抑えて、黙ってその場をやり過ごしました。

これはほんの一部で、その他にも、

何度も周りからイジメに近いくらいイジられ、仲間外れにもされた。

小学校時代まで誰もが羨むヒーローだった僕は、

そこからは誰も信じられなくなり、不登校気味になった。

行けても遅刻や早退、

保健室に逃げ込む学校生活が続いた。

中学の卒業アルバムと一緒に配られる、クラスメイトが作る文集では、

嫌がらせで唯一、僕の名前を載せてくれなかったり、

今、振り返るとマジで痛く、可哀想な奴だった。

まあ一生に残るクラス文集なので、

先生達がチェックするはずなんですが、

よほど僕という存在が邪魔だったか理解できる。

卒業式なんか、みんな泣いてる中、

涙ひとつ出ず、感情が無だったことを鮮明に覚えている。

そのくらい中学校生活は、

僕にとって、退屈でつまらなかった。

人生でも1番戻りたくない過去として、今でも悪い記憶として残っている。

【第3章】高校も転落したまま非モテの3年間

高校は、中学の奴らがほとんどいないとこに入学して、

人生の再起を図り、僕自身も期待を胸に高校に入学した。

最初の1週間ほどは高校生活を楽しんでいたものの、

陰キャラでコミュ障で人間不信になっていた僕は、

周りのギラギラしてる人達に圧倒され、

雰囲気にもついていけず、

心身が疲れ、ついてけなくなった。

周りの人達はというと、

いわゆる高校デビューをし、

女の子にモテるためにイキって、

強く見せようと弱い奴をイジメ、

自分の威厳を保つために必死だった。

僕はその被害者。

高校はどちらかというと力任せの脳筋がたくさんいたので、

次第に僕はイジられキャラに認定され、

ヤンキー軍団に背後からいきなり蹴られたり、肩を思い切り殴られたり。

なかでも酷かったのが、

机に座って次の授業を始まるのを待ってるときに、

謎に僕の隣に座ってきたヤンキーが、

売店で買った唐揚げを食べながら、

話しかけてきたらと思ったら、

財布でいきなり顔面を叩かれたことがあった。

そいつは僕を叩いた後、

いや、意味分からんし、理不尽すぎるし、

そのヤンキーからしたら、財布で叩ければ、

誰でも良かったのかもしれないけど、

僕からしたら、いい迷惑でしかなかった。

些細でちょっとしたことかもしれないけど、

僕の心にはズッシリときた。

「高校入るとこ間違えた。辞めようかな。。」

と本当に思い詰めたほどの経験だった。

他にも、教室にいない間、

勝手にバックを漁られたり、弁当食べられたり、

1つ1つ、ジャブのようにズシズシと心をエグられた。

そんな中でも僕も一応、高校生。

イジメ寄りのイジられキャラだったけど、

切実に願っていたことがある。

それが、

高校生であった陰キャ脳死ザル(僕)が抱いていた

欲望剥き出しの願望である。

まあ今考えたら高校生らしいっちゃ、らしいが。

僕は幸運にもごく僅かであるが、

当時、友人と呼べる人間が数人いた。

その中で、

「彼女欲しいんだよねー」

と相談すると、

彼氏がいない女の子を紹介してくれたのだった。

ようやく童貞卒業できると淡い期待を持ちながら、

紹介してくれた女の子と毎日、連絡しながら、

1週間ほどでデートの約束をこじつけた。

ただここで1つの問題は発生した。

まだお互いの写真を見せ合ったことがなかったのだ。

デートの約束をしたものの顔が分からないんじゃ、

対面することができない。

僕はこういったやり取りにもドキドキしていて

思い切ってデート前日にメールで彼女にこう聞いた。

「デートする前に写メ送ってくれる?」

陰キャコミュ障の僕からしたら、

なかなかのデキる男感を出しながら伝えることができた。

それから1分も経たないうちに、ピコンとガラケーが鳴る。

スマホを開くと、

「いいよ!その前にしょうの写メ送ってー!」

僕はすぐにガラケーで渾身のポーズで自撮りをし、

5分以内に彼女に写真を送ったのだ。

そこから10分、30分、1時間‥

「あれ・・・あっご飯食べてるのかな?」

と気持ちを落ち着かせ、

さらに2時間、3時間、4時間‥

気づけば深夜1時を回っていた。

「え、明日はデートなのに連絡がない…どうしよう‥」

焦る気持ちを抑えて、

翌日の朝を迎えるが、連絡なし。

もう気持ちを抑えることができず、

「今日のデートよろしくね!楽しみだね!」

と送るが結局、デート直前になっても

連絡がこないまま、その日は終わった。

後日、この女の子を紹介してくれた友人に相談したところ、

「送ってきた写真がタイプではなかったから、無視したって!」

とサラリと教えてくれた。

僕は愕然とした。

中学では存在を否定され、

高校では顔面を否定され、

もうドン底に落とされた気分だった。

それから高校3年間は、

何回か女の子を紹介してもらうも、

連絡をブチられることが頻繁に起き、

童貞街道まっしぐらを辿っていたのだった。

この頃を振り返っても、

陰キャラ、コミュ障っぷりが遺憾無く発揮されていて、

モテない行動を連発していたなと深く反省してるほどである。

【4章】童貞の痛い大学デビュー

なんとか痛々しい高校時代を経て、

学力は偏差値38のままだった僕は、

お金を払えば、誰でも入れるFラン大学に入学していた。

親には感謝しかない。

勉強もろくにできないくせに一丁前に髪を金髪に染め、

いわゆる大学デビューを果たしたのだ。

当時の僕はとにかく、

陰キャラ、コミュ障を強く脱却したいと感じてたので、

まず何をしないといけないのか?

そのためには何が必要なのか?

脳ミソすっからかんの状態で必死に考えたのだ。

そこである1つの答えに辿り着く。

それが、

彼女を作って童貞を卒業できれば、

俺だってキラキラ輝き、

女の子に困らないモテ人生、

いわゆる勝ち組になれると思ったのだ。

大学に入り友達を作り、話していると

大学で会うキラキラしている人達は、

童貞を卒業してて、自信がギラギラみなぎっていた。

女の子を前にしても決して緊張せず、

積極的に肌を触れ合い、一歩間違えたら

セクハラレベルのところまで距離を縮める。

マジでこいつらすげぇえ

心の底からとても羨ましく思えた。

なぜ羨ましく思えたかというと、

僕は女の子を前にすると、

急に自分の体臭や口臭を気にして、

距離も近づけなければ、積極的に話すことが全然できなかった。

まさに非モテ童貞臭がプンプンだったといえる。

そんな中でも、

”大学で絶対に彼女を作り童貞卒業する”という、

強い信念を持っていたため、学業そっちのけで行動に移した。

そして、

チャンスが訪れる。

大学1年生のときにmixiという出会い系に近い

コミュニティサイトがあり、

そこでたまたま連絡が取れた女の子と意気投合した。

毎日のように電話とメールをし、

会ってもないのにもうすでに付き合ってるかのような仲まで深まっていった。

事前にプリクラ写真も送ってもらっていたが、

まあまあ可愛いかったので安心して連絡していた。

ちなみに僕は、過去の過ちを犯したくなかったため、

超絶イケメン風に自撮りをし、彼女に送っていた。

彼女は、

「めっちゃカッコイイじゃん!!」

と褒めてくれた。

めちゃくちゃ嬉しかった。

この期間は毎日が恋しく、

大学の講義中、

バイト中であろうが、

ケータイを肌身離さず持ち歩いてたのを覚えている。

そして、会う約束を決め、

ついに対面の日が訪れることになる。

「付き合ったら…」

「結婚したら…」

こんなレベルの話にまで発展してたので、

会った即日に童貞は間違いない状況だった。

自分にとって最高シュチュエーション。

いつもは遅刻の常習犯のくせに待ち合わせ時間10分前に待機。

ドキドキしながら駅前でケータイ片手に持ち、待っていた。

すると、

「あっ、もしかして、しょうくんですか?」

電話のときよりも2倍可愛い声で後ろからポンポンと肩を叩かれた。

僕は声を聞いて、

これは可愛い新垣結衣の子がきたに違いないと確信した。

「よし、これは写真よりも絶対可愛いぞ!」

と踊る期待を胸に笑顔で振り返った。

その状況とは、

えっうそだろ…本当に電話越しの彼女なのか…

もしかしたら、彼女が体調不良で来れなくなったから代理できた友達かな…

と現実でないことを願いながらすぐに彼女の名前を確認したが、間違いなく本人だった。

僕はケータイが彼女に見えないようにプリクラ写真を何度も見返した。

まったく顔も体型も違い、

プリクラ要素ゼロだった。

とんでもない詐欺デッドボール女だった。

僕の心は完全に萎えきっていた。

しかし、すでに会っている手前、

いきなり逃げるのも可哀想だと感じ、

一緒に安いカラオケルームに入ったのだ。

毎日のように長電話していたせいか、

少し情が入ってしまったのかもしれない。

カラオケルームに入ると、当たり前だが2人きりの密室。

さすがに長時間の2人での空間は耐えきれないと踏み、

僕は今すぐにでも逃げれないか模索した。

そして、良いアイディアが浮かぶ。

「1時間したらバイトから呼ばれたテイで演技して逃げよう!」

そう考えた僕は心を落ち着かせ、

1時間だけ我慢することに決めた。

適当にミスチルの曲を歌って過ごしていると、

部屋の照明が暗くなっていたせいか、

彼女の方が乗り気で距離をグッと近づけてきたのだ。

手を握られ、顔も近づけてきた。

「う、うわ、きつい‥」

この流れは、キスの流れ。

ヤバイ逃げられない。

彼女をどう可愛く見ようとしても、

まったく見ることができない。

本当に耐えられないほどの圧だった。

しかし、

僕のアレは違った。

しっかり反応して、膨らんでたのである。

いくらデッドボール級の彼女とはいえ、女性だ。

僕は恥ずかしながら、女性特有のフェロモンを嗅ぎつけてしまい、

オスを出してしまい、彼女の勢いに押され、キスをしてしまった。

実は僕のキス童貞はここで卒業を果たしたのだ。

なんとも言えない虚しい気持ちにはなったのだが、

ただ正直に言うと、

キスはたまらなく気持ち良かった。

キスとはあんなに心躍るものなのかと初めて知った。

とはいえ、

このままだと、この子で童貞を卒業しなくちゃいけない。

それは流石に一生トラウマになると感じた僕は、

バイトから電話がきたと嘘をつき、

舞台俳優並みに残念そうな演技をして、

カラオケルームをあとにした。

彼女と別れたあと、

ホッとした途端、いきなり吐き気が襲った。

彼女の顔や口の感触や独特の口臭がフラッシュバックで蘇り、

駅のトイレで嘔吐してしまったのだ。

僕は吐きながらも、

「もうこんな思いはしたくない、

可愛い子で絶対、童貞を卒業する!」

そのとき強く心に誓ったのである。

この後、彼女からメールや電話がくるも一切、無視。

最後の方は、

といったエグい脅迫メールが10通以上きたけど、

断固として、それも無視。

そこから連絡が途絶え、どうにか難をえたのだった。

僕のこの経験からmixiというか、

出会い系に近いコミュニティサイトを使うのを辞めた。

【5章】陰キャラコミュ障が童貞卒業

大学2年生になると、

キャンパスが都内になったことで状況が一変。

微々たるものだが、友達との交流が増え、

クラブや合コンに誘われるようになり、

とにかく行きまくった。

デッドボール級の彼女とキス童貞を卒業したことで、

変な自信がついた僕は、

少しづつ女の子とのコミュニケーションが取れるようになった。

クラブや合コンでは、今までに見たことない綺麗な女性と触れ、

終始、圧倒されながら強いお酒を活用して、

合コンでは連絡先ゲット、クラブではナンパに果敢に挑戦した。

もちろん最初から上手くいくことはなかった。

でも僕は今までの、

壮絶体験、

非モテ体験、

から童貞を絶対に卒業したいという気持ちが

超強まっていたので絶対、諦めたくなかった。

だから、

合コンで活躍してる、ナンパに成功してる人の

研究・分析をして、徹底的に真似した。

⚫︎しぐさ

⚫︎トークスキル

⚫︎洋服

⚫︎香水

⚫︎etc.

とにかく見まくって、マネした。

真似したことで女の子のウケは良くなり、

デートもたくさんできた。

しかし、

童貞は卒業できなかったのだ。

なぜかというと、

ホテルに入った後の流れが分からなかったからだ。

だから、

デートで良い雰囲気になってもキス止まり。

先にシャワーを浴びるのか?

一緒にシャワーを浴びるのか?

ベットにはどうやって入るのか?

服はどう脱がすのか?

こんな感じで分からないことが不安になり、

ホテルに誘えなかったのだ。

今思うと、自分で言うのもなんだが、

マジで情けない、クソ童貞である。

でもこうやって行動していると

神様はチャンスをくれる。

このように焦っていたときに、

僕の横でバイト先の先輩がソープランドに行く話をしていたのだ。

僕は知らないふりをしながら、耳をダンボにして聞いていると、

「おい!しょうもソープランド行ってみるか?」

と誘われた。

僕は興味ないような顔をしながら、

「あっ偶然、暇なんで行ってもいいですよ」

と少し格好付けて、その誘いにのった。

そして、すぐに車に乗り込み、ソープランドに到着。

イカツイ店員さんが出てきて、女の子の写真を見せてくれた。

先輩から女の子を決め、僕は余った子を選んだ。

待つこと5分、僕が呼ばれる。

店員さんが

「階段登ったとこに姫がいます」

と教えてくれた。

僕は緊張しながらも、

いよいよ、童貞卒業できるぞ!

と期待が膨らみつつ、

ニヤニヤした表情を隠しながらゆっくりと階段を登った。

そして、階段の先ににはスラッとした、

今どきの可愛げなギャルが待っていた。

いや、普通に可愛いし、綺麗!

僕はこんな子で童貞卒業できるなんて…

と部屋に入ったあとの想像を膨らませていた。

女の子は20歳で僕より1つ年上。

部屋に入ってすぐに裸になり、一緒にお風呂に入る。

初めて裸で女の子の体に触れた瞬間、

僕のアレはすでに元気になっていた。

ただ、卒業間近にして僕は緊張してしたのを見て

女の子は笑いながら、

「あっもしかして妖精さん?」

と聞いてきた。

どうやらこのお店の中で童貞の人を「妖精」と呼んでるらしい。

僕はここで見栄を張り、

女性の体のことを1つも知らないくせに

「何回もやったことあるよ」

と苦し紛れに言い返した。

ソープなんて自分が再来店して指名しなければ、

一生、会わないのにここで僕は嘘をついた。

さすが、コミュ障の陰キャ童貞。

かっこ悪さが炸裂してる。

まあ相手してくれた女の子百戦錬磨なんで

童貞ってことは気付いていただろうが。

そこからオドオドしながらも、ベットへ。

そして、体を重ねあい、見事、童貞を卒業した。

ことを終えた瞬間、

と今までに味わったことのない

達成感と開放感を味わえたことを鮮明に覚えてる。

巷では風俗嬢で卒業することを

「素人童貞」と呼んでるみたいだが、

そんなの関係ない。

ここで女の子の体を知れたという経験ができたのだから、

周りからどう思われようと関係なかった。

そんなことより童貞卒業できたことが本当に嬉しかったのだ。

20歳直前まで悩んでたことが解消されたのだから、

たまらなく嬉しかった。

そこから大学時代の僕は自信が満ち溢れ、

バイトを必死にして、稼いだお金で夜の街に繰り出し、遊びに遊びまくった。

ここでようやく小学校時代の輝かしい頃を思い出すことができ、

再びヒーローになってやろう、輝きを取り戻してやろうと誓ったのだった。

【6章】フリーターが感じた周りとの差

今までとありえないくらい

楽しかった大学生活が終わり、社会人になった。

大学の友達は就職したが、

僕はというと1つの会社に就職せず、

アルバイトで生計を立てていた。

実家住みだったため、家賃はゼロ。

月収15万円程だったが

全然、遊べたし余裕感があったのだ。

最初の3年間くらいまでは、

周りとの差を感じず、

今まで通りの関係値で仲良くいれたのだが、

それ以降はまったく違った。

3年経ったあとも僕はいまだにアルバイトで月15万円。

しかし、

周りはどんどん年収が上がり、

結婚する友達も出てきた。

やがて5年が経つ頃には、

友達の中で年収1,000万稼ぐ奴が出てきたり、

一緒に飲みいっても羽振りがよく、会計を全部持ってくれたり、

値段を見ずに注文するなどお金に対して余裕感があったのだ。

一方、僕はというと、

値段を見ながらメニューと睨めっこ。

1番安いビールとおつまみを頼み、

ひそひそと一緒に飲んでいたのだ。

そして、このとき、

ようやく大事なことに1つ気付いた。

それは、

この当時28歳であったが、

ここで初めて本当のお金の力に気付いたのだ。

気付いたのは良いものの、

僕は、ひとつの会社に属している

月15万円を超えたことがないフリーター。(非正規雇用職員)。

周りの友達からは次第に、

「いい加減、就職したら?」

「マジでフリーターとかキモいから」

「しょうみたいな中途半端な奴とは絶対結婚できないわ!」

とこんなふうにバカにされ、自信喪失した。

僕は焦った。

周りからそんな風に見られてたのかと、

めちゃくちゃ恥かしくなった。

そして、

駅にあるタウンワークを取り、

急いで就職活動を始めた。

ただ年齢も30歳間近になってて、

学力が偏差値38だった僕は、

収入が高い会社に面接に行っても、

相手にされず、低い給料の会社しか面接を受けさせてもらえなかった。

結局、ボーナスが年に2ヶ月分しか出ない、

手取り月15万円の会社に就職したのだった。

せっかく会社に就職できたものの、

今までの稼ぎと年に30万円ほどしか変わらない。

このとき、

ようやく周りとの格差を気にするようになり、

大学時代の栄光が影を潜め、

また暗闇へと歩んでいくことになる。

【7章】酷い仕打ち、現状は簡単に変わらない

なんとか会社に就職を果たしたのだが、

環境に馴染めないことと仕事が全く出来ないことから

業務内容は、コピー、掃除、書記がほとんど。

それに加えて

とある問題にぶつかる。

僕がいた職場は、ものすごい権力を持つお局がいた。

最初、お局はとても優しくしてくれて、

団子を買ってきてくれたり、

自分のためにお土産を買ってきてくれたり、

いい思いをさせてくれたのだが、

僕の仕事の出来なさや、

良い思いをさせたにも関わらず、

お局を一切、ヨイショしなかったのが

原因でイジメの標的にになってしまった。

僕をみんなの目の前に呼び出し、大声で説教されたり、

休憩時間をしっかり守って5分前に帰ってきたのに、遅すぎると怒られたり、

最後の戸締りでお局が鍵を閉めなかったのが原因でALSOKが発動し、

僕のせいにされた挙句、その発動料金を払えと強要されたり。

まだまだあるけど、考えるだけで

とんでもない陰湿なイジメに合っていたことを思うとゾッとする。

さらに、

僕はこれが原因で、職場に近づくと急にお腹が痛くなる、

過敏性腸症候群を発症し、

本当、散々だった。

職場ではイジメを受けていたが、

私生活もお金の面で悲惨な状況を招いていた。

就職後も実家住みなのにも関わらず、

常にギリギリの生活をしていた。

というのも、

当時のお金がなかった僕を好いてくれて、

付き合っていた彼女との交際費で

フリーター時代に貯めていた100万円近くあった貯金を

すべて使い倒してしまったからだ。

尚且つ、

就職後は歓送迎会が部署ごとにあり、

口座残高は常に底つき、

どうお金をやり繰りしていいか、分からなくなっていた。

まあそれでも、なんとか、

小学校時代、大学時代の栄光を取り戻したい一心で

じゃあ何で自信を取り戻すかと考えたときに、

真っ先に思いついたのは、彼女を離さないことだった。

いわゆる、ステータスをとった。

ここで彼女を切って、お金とちゃんと向き合っていたら、

この後起こる最大の悲劇を迎えることはなかったのだが、

人間愚か者なので、どうしても快楽や見栄えを気にしてしまうもの。

ここから悲劇が始まる。

お金がないのにも関わらず、

自分の欲に逆らうことができず、

そんな気持ちが先行し、

人生最大のミスをここで犯してしまう。

三菱UFJのバンクイックで30万円、

初めて借金してしまったのだ。

ここから人生最大の墓場を見ることになる。

初めての借金で大金を手にした僕は、

なんと速攻で彼女に洋服や時計などプレゼントし、

1ヶ月ほどで使い切ってしまった。

毎月の返済額は1万円程度だったため、

さらに借りても余裕だろと感じ、

すぐに2度目の借金に手を出してしまう。

モビットで80万円借りたのだ。

簡単に手に入るお金は、

湯水のように使ってしまう。

本当に悪いお金だ。

本来ならここで一旦立ち止まり、返済計画を立てて、

収入に見合った生活をしなければならなかったのだが、

僕はさらにミスを犯す。

この80万円を使って、

1人暮らしをしよう

と決意するのだ。

理由は、

明白で彼女にすごいと憧れをもってほしかったし、

ホテル代わりになると考えたからだ。

わざわざ借金して、1人暮らし。

今思うと、馬鹿げてる。

ただこの頃の僕は、これが正しい道だと感じた。

本当に偏差値38の愚か者はこういったことをマジで考える。

過去の自分が怖すぎる。

【8章】借金によって人生詰む

このときすでに借金は100万円を超えていて、

もう借金は返せない状態での1人暮らしが始まっていた。

引っ越し費用で9割お金が飛んでいた僕は、

どうにか返済を凌ごうとクレカを複数作成し、

クレカ枠とキャッシュ枠を併用。

+

で生計を立てていた。

実際、ちっぽけな夢である

1人暮らしで彼女を呼ぶことが増えたが、

家でのデートが多すぎること

月15万円しかもらえない僕に明るい未来が見えないこと

これを理由に1人暮らし開始まもなく、

あっけなく彼女に振られてしまったのだ。

彼女と家で遊ぶために1人暮らしをしたのにすぐ別れる。

そして、

会社の給料が全く増えず、

借金返せる目処が立たない

最悪の状況に陥ってしまったのだ。

ここうなってからは、

毎朝、起きるとき…

仕事してるとき…

夜ご飯を食べるとき…

寝るとき…

何をするにも、

お金なさすぎて、

悩みすぎて、

1発逆転のFX投資に賭けるか、

僕の前を歩くあばあちゃんのリュックを盗もうか、

みたいなこを本気で思ったほどだ。

人は追い込まれると冷静でいられなくなる。

このときちょうど30歳。

完全に人生詰んだ状態に陥った。

しかし、

そんな人生ドン底ともいえるときに、

微かな奇跡へ道を見つけることになる。

【9章】30歳底辺リーマンが起業した

人生ドン底状態だったある日、

僕の目に

「衝撃の二文字」

が目に入り込んだ。

それが、

だ。

なんとなしに見ていたYouTubeでホリエモンが

「金に困ってるなら起業しちゃえばいいじゃん」

と軽いノリで言っていた。

僕はこの二文字を聞いたとき

「起業って何?」から始まって

速攻でスマホでむさぼるように起業について調べた。

その結果、

起業すると社長になれるらしい

ということだけ分かったのだ。

「社長…うん良い響きだ、今すぐ起業しよう」

いかにも偏差値38のバカが考えることだが、

起業して上手くいけば、

月15万円の給料は悠々と超えられることを

理解した僕は何も考えず、

思い立ったその日に会社に退職意向を伝えた。

会社員として働いて、

どんなに残業しても、

どんなに休日出勤しても、

上司からイジメられて我慢しても、

給料は一切、上がらない。

毎月お金だけくれる会社に期待してもダメだ。

起業して自分の手で人生を変えてみせる!

この想いがクソ強かったので、

思い切って決断した。

退職したときの現状は、

貯金もなければ、借金が160万円に膨れてる。

起業して何をするのか詳しく決めてもない。

偏差値38で勉強一切してない。

どん考えても無謀な状況だった30歳の僕は

会社を辞め、

「起業」という奇跡の道を模索することになった。

【10章】起業失敗からの学び

正直なところ心の中では、

1カ月も経てば、

すぐ稼げるだろと

軽い気持ちで望んでいた。

成功者の起業サクセスストーリーを見て、

自分と照らしあわし、自己肯定感だけ高め、行動は何もしない。

僕は、

「今の自分は、サクセスストーリーでいう序盤のシーンだ。

悲劇のヒーロー演じていれば、チャンスは巡ってくる。

それまでは自己肯定感をあげてチャンスを待つだけだ。」

と大変恐ろしいことを本気で思っていた。

起業って自分でビジネスをしないといけないので、

商品作らないといけないし、

人を集めないといけないし、

集まった人に価値を伝えるために教育しないといけないし、

商品を販売していかないといけない。

こういったことをしないと、

ビジネスが成り立たないのにも関わらず、

勉強してなかったので、何をしていいか分からず、

ただ自己肯定感を上げて、チャンスを待っていたわけで。

全くもって言語道断。

マジでビジネス舐めてる。

実際、起業してからは、ずっとひたすら、

YouTubeで「起業 上手くいく方法」と検索し出てくる動画を全部漁り、見まくった。

全く嘘でななく、

本当に3ヶ月間これしかしてなかった。

全然うまくいかないし、すぐに挫折した。

結局、

またその6ヶ月間、

さすがに収入ないのは厳しいと感じ、

引っ越しの日雇いバイトをするも、

荷物を運んでるときにガラスの高級机を割ってしまい、

24歳の社長に怒鳴られ、クビになった。

警備員の仕事もしたが、

真夏に8時間永遠と立ち労働で

工事現場のお兄ちゃんに足で使われ、

連絡せずに逃げた。

挙句に、収入ゼロでなんとか返済をやりくりしていた

借金返済もできなくなり、

家族に内緒で任意整理もした。

このときばかりはマジで苦しかったし、

自分という人間を憎みまくった。

そして、

何をやっても

上手くいかない状況に

耐えることができなくなっていた。

自分自身が嫌いになり、

部屋を真っ暗にして子どものように、泣き叫んだ。

俺はなんのために起業したんだ…

なんでこんな無能なんだくそ!

なんで俺だけ…

感情をむき出しにして、大きく泣き崩れた。

心の底から悔しかった。

ただ、

ここで1つの転機となったことがある。

それは、

自分という人間は、

どういう性格で、

どんなことが苦手で得意で、

どんなことがイヤで好きで、

どんだけ頭が悪いのか。

30歳で初めて自分という人間を

本当の意味で知ることができた。

自分を受け入れることができたのだ。

僕はそのあと、

泣きながら自分のことを1枚の紙に、

自分の長所や短所、気持ちなど

書き殴って分析した。

その分析から、

まず勉強して勉強して、

自分が鬼強くなろう

と心に誓い、

今まで遊んでいた時間を全部勉強につかい、

浪費として使っていたお金を日雇いしながら

ビジネス知識にぶっこみまくった。

ここから人生は、

面白いように変わっていった。

起業で0→1をあっという間に達成し、

1→10、その先も順調に階段を登っていったのだ。

もちろんお金はザクザク口座に貯まり、

借金160万円も1年半ですべて完済した。

個人の力で稼ぐ自信が大いにつき、

人生初めて大きく胸を張りながら、自分の人生を楽しめるようになった。

今の自分はというと、

会社員の労働時間の半分以下にし、

収入は4倍以上に膨れ上がった。

今では時間や他人に縛られず、

自分の好きなペースで悠々自適に暮らしてる。

もしあのとき、

リスクを背負わず、起業していなかったら、

今の悠々自適に暮らす自分はいない。

起業で挫折したときに踏ん張った

自分に感謝しかない。

【11章】コンテンツビジネスの出会い、新たな野望

正直な話をしてしまうと、

会社員の頃に比べて、収入入りすぎてる事実もあるし、

もう頑張んなくていいかなって思っていた。

だって会社員の頃は、

10時間拘束され、永遠と仕事をしていたのに

給料が月15万円を超えたことがなかったからだ。

会社員の労働時間の半分以下だし、

4倍以上の収入が毎月入ってるからもういいっしょ。

みたいな。

ただ暇な時間が増えてやることがないってなって、副業を始めた。

それなりに上手くいき今では年間100万円以上は

いつでも収入を増やせることができるようになった。

でも、つまらなかった。

お金は稼げるんだけど

めっちゃ楽しいから続けたい

とは思わなかった。

物販なら、物を店舗に仕入れるのが面倒くさいし、

そもそも稼働してるから肉体労働と変わんなくね?

みたいに思ってたし、

そもそも商材(仕入れ)が飽和してたら、

値崩れするし、イタチごっこだし、

結局、ずっと稼げる未来ないなって。

そんな中で、

コンテンツビジネスに出会うことになる。

僕が本業にしているビジネスでは、

オフライン事業でネット集客がメインだ。

いわば、

寝ていても自分で作ったコンテンツが人を呼びよせ、

お客さんが勝手に問い合わせをしてくれ、

あとは商品をセールスするだけの仕組みを作っている。

実はライティング歴は5年以上経験していて、

「コンテンツビジネスだけはやっていて楽しい!」

と感じていた。

しかし、

当時は、有料でコンテンツを1回も売ったことはなく、

本当に売れるか疑心半疑だった。

でも今までの起業経験から、

まず行動してみてから何事も決めよう

とポリシーがあったので、

そこで思い立った僕は、

有料コンテンツを1つ作り、

世に自分の商品を出してみた。

当然、コンテンツビジネスはズブのど素人。

リリースして1日目、2日目と売れなかった。

やっぱり初めて売るし、

コンテンツビジネスの世界は厳しいよな…

若干僕は諦めていたが、

3日目を迎えた日にスマホに1個の通知がピコンと鳴った。

『あなたの記事が購入されました。』

外にいたのですが、

おぉぉ、よっしゃあぁ!

と周りを気にせず、叫んでしまった。

そして、

僕の中で重要なことに気付いてしまった。

今までの起業経験と照らし合わせると、

がわかったのだ。

ここで売れることも分かったし、

コンテンツビジネスの仕組みもわかった。

「そしたら、あとはさらに知識増やして

この稼ぐ仕組みを増やせば良いだけだ」

と確信を持てたのだ。

今でもたまにこの瞬間を思い出すのだが、本当にすごい世界。

夜、1人で帰り道歩いてるときに、

いきなりお金がチャリンと降ってきたのだから。

そこから、

ビジネス知識に120万円課金し、

やることやって2週間ほどで1万円稼げてしまったり、

ビジネス未経験だった生徒にSNS運用教えて、

2ヶ月で収益上げたり、

ブログを教えた生徒は、1ヶ月目で収益を発生させたり、

「今ではビジネスを教えてください」

と多方面から言われるほどになった。

これも大金を突っ込み、ビジネス知識を取り入れ、

コンテンツビジネスに参入したからこそ。

僕はコンテンツビジネスに出会ってから、

毎日がさらに楽しくなっている。

僕がビジネスを教えるだけで、

困っている人を助けられ、喜んでもらえるし、

僕も幸せな気持ちになる。

そんなビジネスは控えめに言って最強である。

僕はいろんなビジネスをしてきたけど、

これだけの気持ち、熱量を上げてくれるのは

コンテンツビジネスしかない。

だから、

僕はこの仕事をやるし、ずっと続けていく。

最後に

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

僕はこの記事に書いてあるように30歳まで、

総合的に見ても、クソどうしようもない人間でした。

いわば、最悪四天王ですよ。

でも、起業してから人生が変わり、

ビジネスを0から猛勉強し行動してきたこそ、今の自分があります。

僕がなぜ、

ネットビジネスについて情報発信をしているかというと、

ビジネスの原理原則を学べば、

誰でもお客さんを幸せにできるし、

稼げる確信があるからです。

また僕は今までビジネス知識に120万円ほど突っ込んできました。

やはり120万円も突っ込むと分かることなんですが、

良質なモノ、

良質じゃないモノ

がやはり実在します。

良くない教材やコンサルに当たると、

結果が出るはずのない事に時間を使ったり、

意味の分からない行動をとって、諦めてしまいます。

例えば、

『リプ周りしてフォロワー集めよう!』とか。

これ意味ありません、

理由は簡単で、集客する対象が違うからなんですよ。

ビジネスは、どこまでも「お悩み解決」であって、

自分の価値を欲している人を集めないとダメなんです。

でもリプ周りしてフォロワー集めしてる人は、

ただ単に交流を求めてる人達が集まってるので

別に悩み解決なんて求めてないんですよね。

何が言いたいかって要は、

集めるべき人ってのは、

悩んでる人』ってことです。

車屋さんであれば、同業である車屋ではなく、

「車がほしい!」、「車を直して欲しい!」

と思っている人ですよね。

恥ずかしながら、

僕は過去にコンサルをお願いした人の中で、

上記のような効果がないことを教わり、

時間を無駄にした経験があります。

本当に今考えると、

はらわた煮えくりかえるほど、

後悔しています。

でもこの経験をしたことで、

雑魚がどんなゴミコンサルをしてるか分かったし、

過去の僕のようにゴミのようなコンサルをお願いするか迷ってる方に

間違ってる方向に進んでるよってことを伝えられるじゃないですか。

だから、

僕に教わった生徒は続々と成果を出してるし、

人生がどんどん好転してる。

これは今もなお、現在進行形です。

最後に野望を語って終わりにしますが、

僕はビジネスを通して、

過去の僕のような暗闇で燻ってる人達を救い、幸せにしたい。

過ちを犯しまくった『第2の僕』を作らないため、助けたい。

この想いを強く持ちながら、情報発信をして、

1人でも多く救っていけるように活動していきます。

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